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【東京神学大学の劣化の足音を聞きながら、東京神学大学の刷新と新しい神学教育機関を模索する】

更新日:2022年12月11日

1.東京神学大学は大丈夫なのか ―ハラスメント問題と財政危機


安全な資産管理?


 東京神学大学の教育と研究が劣化している。ハラスメントと財政危機というダブルパンチで、学部志願者が激減している。かつて100名以上もいた学部、大学院生は、今や60名すれすれである。学部生だけを見れば30名すれすれといったところで、学部定員の半数割れの危険も迫っている。


 この現状に対処してのことだろう。「神学事始め」というようなパンフレットが、諸教会に送られてきた。中身を見て驚いた。これは、なりふり構わぬ学生集めの勧誘状ではないか。さらに先日は、HPと諸教会宛の文書「東京神学大学資産管理についてのご説明 (第二報)」が出され、東京神学大学の資産は安全に保たれていると宣伝して、資産管理は大丈夫なのかという諸教会の疑念を打ち消した。


 しかし、文書を良く読んでも、どこが「より安全かつ効果的な資金管理運用」なのか、さっぱりわからない。さらにそれに責任を持つというけれど、どう責任を果たしているのかは、具体的に何一つ書かれていない。仕組債購入によって、9千万円の損失がでたことはとうとう認めたが、運用の切り替えによって、「学納金の半分近い1830万円の利息収入を毎年得ている」とも付け加えている。


 このような釈明によって、資産管理がうまくいっているような印象を読み手には与えるが、すでに9千万の損失が出たわけだから、毎年利子の果実があったとしても、数年間ではほとんど利益がでていないことにもなるだろう。

 

 そればかりか、買い替えた仕組債が、「欧州一流金融機関の債券」であると主張するが、なぜ、それが「ドイツ銀行」という不安定で、格付けの定まらない金融機関であることを正直に伝えないのだろうか。東京神学大学は、額面6億円のドイツ銀行の仕組債を5億1千万円で買い、しかも30年償還という条件になっている。


 かつて13億円あった基金のうち、奨学金のために捧げられた4億円の基金は1号基金に移行されたうえで、キャンパス整備のためにすべて使われてしまった。


◆「キャンパス整備感謝報告書」から浮かび上がること


 諸教会に送られた2022年9月21日発行の「東京神学大学キャンパス整備事業感謝報告書」なるものがある。手元にある方は、ぜひ広げて見ていただきたい。その14頁に、「基本金移行同意基金」と名付けられた奨学基金の一覧表が付されている。この基金に加えられた説明を読んで、基金を捧げた個人や教会は、大切な基金が保有され、引き続き奨学金のために蓄えられていると大部分の人は考えるだろう。


 しかし、実際には、総計4億円の奨学基金は、すべて建築事業にあてられ、残ってはいないのである。確かに3号基金(これは承諾なしに取り崩すことができないと学校法人会計で定められている)は、1号基金に移行し、そこから建築事業に支出され、名目上は、それによって建設された固定資産に変わっている。


 しかし、総計約4億円は、奨学金の果実を生みだす原資としては、もはや存在していないのである。14頁の記述は、読み手に、あたかもこれら奨学基金はなお存在しているかのような印象を与えて、読み手が安心するような操作をしていることは明瞭である。

 

 さらに3号基金の残りは、8億円余だが、そのうち5億1千万円は、ドイツ銀行発行の仕組債購入にあてられ、30年間塩漬け状態にあると推測される。そうすると、東京神学大学が保有し、自由にできる資産は、極端に少なくなっていると考えざるをえない。


 さらに、5億1千万円で購入された仕組債は、元本が保証されているのか。また資金不足が生じて取り崩す場合には、時価はいくらになるのか。東京神学大学がHPで公表している財務諸表を見れば、東京神学大学の経常会計の毎年の赤字は、1億近くになっているが、これから数年間、どのようにして財政危機を乗り切るつもりなのだろうか。


 東京神学大学の財政の現状を、献金者である諸教会、信徒には、明確に示さず、献金してくれと一方的に懇願しているのが現状である。これはあまりに虫が良すぎるのではないか。


2.なぜ情報を公開しないのか


 東京神学大学は、献金と祈り、支援の願いは、自分たちが祈っているというような言いぐさを続けるのではなくて、まず正確な情報を公開すべきである。


 仕組債の時価総額、元本保証はあるのかないのか、なぜ、リスクのきわめて高い仕組債を購入したのか。誰の発案で、誰が意思決定したのか。損害が発生した場合には、誰が責任をとるのか。尊い諸教会の献金を、仕組債で運用することは、学内の規定違反ではないのか。


 この二三か月、日経、朝日新聞をはじめ※1、マスコミでは、銀行、証券会社は、個人への仕組債販売を停止したことが発表され、記事になっている。


 さらに仕組債の販売停止が、法人にまで拡大されれば、仕組債のマーケットは失われ、東京神学大学が購入した仕組債も、紙きれ同然となってしまうのではないか。そのような危険は回避されているのかを私たちは知りたいのである。


 このような情報を知ることなく、献金を続ければ、仕組債購入の責任を一切取らずに、献金を給与の原資として、責任をとるべき大学の経営者を養い続けることになる。このような事態を認めることができるだろうか。


 すでに、東京神学大学の問題を考える会の有志は、7回にわたる公開質問状を、東京神学大学に提出している。東京神学大学は、十分に説明を尽くしたという言い訳をして、もっとも重要な責任に関わる問題には、一切回答していない。理事長の近藤勝彦氏は、ガバナンスの崩壊、財政の崩壊、モラルの崩壊に直面して、どのような責任を取るつもりなのか。じっと黙ったままで、この難局を切り抜けようとしているのであれば、あまりに無責任、不誠実の誹りを免れないだろう。


 以下は、東京神学大学の現状の問題を指摘するとともに、改革と刷新を具体的に願って、書き記されたものである。加えて新しい神学教育機関の設立の可能性を探ろうとするものである。


3.教団を守り、清潔で志に満ちた神学校というのは、すべては神話だったのか


 コロナの感染拡大とともに、東京神学大学のハラスメント問題も拡大した。東京神学大学は、教団紛争以来、日本のプロテスタントの「良心」であり「正義」ではなかったのか。教団内の「左翼勢力」と戦って教団を守り、信仰告白による一致を守り続けてきた清潔で志に満ちた神学教育機関ではなかったのか。

 

 学生と教師に対するハラスメント、仕組債購入による多額の損失問題など、一連の東京神学大学の不祥事が示すのは、これらはすべて神話であり、恣意的に偽造されて、東京神学大学を支持する諸教会や教職たちが、頭からそれを信じ込まされてきたにすぎなかったということだろう。


 プロテスタント教会は、神の言葉によって改革され続けることがなければ、教会であることを止めてしまう。神学を研究し、教育する神学校も同じである。日本基督教団の信仰を守り、世俗化の波から教会を守ってきたという自惚れは、教会と神学校を硬直化させ、神学研究の質を低下させ、教育力を劣化させてしまった。


 東京神学大学を支持し、少なくない献金を捧げてきた諸教会は、教会と牧師の人事への期待ゆえに、支持しているにすぎない。東京神学大学を取り巻き支持している諸教会と牧師、信徒は、東京神学大学こそ、自分たちの誇り、教団の将来であるように思いこまされてきたにすぎない。

 

 思い込みは、マインド・コントロールに近いものによって人為的に操作されて作られる。マインド・コントロールを行うのは、特異なカルト集団にとどまらない。カルト集団を批判している牧師たちも、自分が所属している集団への批判には耳を貸さず、批判している人々こそ悪者であると決めつけ、自己保身ゆえに、目と口を塞ぐのである。

 

 自分の目と耳で正しい判断ができず、多数の言うことを鵜吞みにし、批判という精神を失ったところには、神学も信仰も成り立たない。


 批判精神を減退させた理由の一つは、バルト神学の誤った理解にあるようにも見える。啓示のみ、信仰のみ、神と人との絶対的、質的な差異というテーゼに目をとられて、人間の主体性や決断、批判といった、人間を人間たらしめている精神の欠落に気づかぬまま、人間の行いの無意味性や決断の恣意性などを真っ先に語ることで、行為の主体である人間の責任を慮ることなく、世界を説明しようとする愚かさが、神学と教会を覆いつくし始めた。


 バルト神学の誤った理解は、神と人間の絶対的な質的差異を強調しつつ、仲保者キリストへの信仰を本当の意味では持っていない場合には、仲保者として、牧師である自分や神学校、あるいは自分が世話になった教師などを据えて、信徒を巧みに操っていく。


 牧師批判は、自分の良い行いによって、現状を変えようとする悪しき企みであり、行為義認の最たるもので、プロテスタント原理を逸脱するものであるという奇妙な論理を形成する。したがって、牧師の説教は、批判の対象とすべきではなく、ただひたすらごもっともですとうなずきながら、受容し、どれほど理不尽で神学的に誤っていても、だれもそれを正す人間はいない状態で、看過されていく。「あの牧師は、東京神学大学出身だから大丈夫」という言葉だけが、虚しく響く。

 

 今こそ、東京神学大学を支持している諸教会と牧師は、目を覚ますべきではないか。


 本当の問題は、ハラスメントを提起した元学生や元教師にあるのではなく、自分たちの問題点を隠し、あたかも批判者に問題があるかの如く振る舞い続け、裁判の結果も、教会外の世俗の判断には、誤りがあるとうそぶき、しかも民事訴訟の限界のようなことを言い立て、自己の責任を一切回避しようとする大学の理事会、学長、教授会にある。


 同時に、批判力を失った大学は、もはや学問的な水準を保つこともできず、外から見て、業績の正当な評価なしに、昇任を認め、人事を行って、ますます教育と研究の質を劣化させていく。劣化していく神学校と教会の現実の前で、わたしたちは、どう決断と行動すべきなのだろうか。


4.隠ぺいと支配の現実


 東京神学大学は、ハラスメントや財政問題という倫理問題が生じたにもかかわらず、自己改革を全く行えず、これらを隠匿する問題回避の方策を選択した。問題の隠匿の方法は、きわめて単純である。これは、中国共産党もプーチンのロシアも変わることがない。集団や法人の意思決定機関(大学の場合には、教授会、理事会、評議員会)の多数をとれば、単純に数の力で支配が可能である。


 特に、東京神学大学という弱小な大学は、各機関の人数が限定されているので、その過半数を取り続けることは、さほど難しくはない。教授会と理事会、評議員会を数で支配すればよいのである。改革と自浄の力を失った集団が、ごく一部の教師や理事らによって、私物化されていく姿は、日本で一番大きな大学である日本大学が、理事長と一部の理事に支配された構造と同じである。

 

 日大の場合には、マスコミで大きく取り上げられ、内外の良心的な卒業生たちによって、自浄の道を歩み始めた。


 これに対して、東京神学大は、すべて卒業生である教師と卒業生である理事、評議員らによる支配の道を進んでいる。このままさらに改革も刷新も起きなければ、財政の破綻、倫理の崩壊が大学を襲い、日本の最小大学は消滅の危機を迎えるだろう。


 日本で一番大きな大学と小さな大学で生じた不祥事に共通する問題点は、第一に、情報が秘匿されて、一部の人々にだけ流れている点である。


 第二に、理事長や学長の少数の仲間たちが、大学の理事会、評議員会を独占し、課題や問題点を指摘する者たちがいなくなったということである。批判者や刷新の願いを持つ人々が少数存在したとしても、その割合が一割以下であれば、ほとんどかき消されてしまう。人事権を握る一握りの人々が、支配を継続することは、支配がひとたび確立するとそれほど難しいことではない。特に手練手管を使うことに慣れ親しんだ人間が、二三人もいれば、ますます支配の構造を作ることはたやすくなる。


 第三は、大学が行う事業(キャンパス整備や建築など)について、それが大学財政に妥当であるかなどを含めて提起された疑念や批判を圧殺する姿勢である。かような計画が、結局自分自身の利益のためではないのかを注意深く吟味する制度がないと、教員は、多額の献金を用いて、教員住宅を建設し、そこに安い費用で入居し、そのための隠れ蓑として、キャンパスの整備、その他事業を行う。

 

 これらは、組織そのものの劣化の兆しであるとともに、教育機関が、批判という機能を失って、ある種のカルト集団へと移行する兆候を示している。


 カルト集団は、情報の統制、批判の封じ込め、メンバーを動かす物理的な力(人事権もその一つ)、誤っているのに絶対化された大義などを重要な要因として内包させつつ、形成されていく。外部からの批判を一切受け付けず、自己検証することもないのが、その特徴である。東京神学大学の場合には、学長が被告となった裁判は、教授会でも理事会でも評議員会でも、ましてや学生にも秘匿されてきた。自分たちが「勝訴した」民事裁判は外に向かって宣伝しても、敗訴した裁判の結果は、一切公表せず、しかも、元学生と元教師から訴えられた裁判を、個人が訴えられた裁判であり、大学とは関係ないと学長自ら日本基督教団総会で豪語している。

 

 もっとも、現学長が敗訴した裁判の内容は、公にしにくい側面がある。元学生の裁判では、元学生の成績を含め、プライバシーを地方の後援会で牧師たちに漏らしたのである。


 考えてみていただきたい。現学長が、自分の大学の学生を擁護するのであれば理解できるが、成績が不十分で既定の成績に達していないから、大学院に進学できなかったと語り、しかもこの内容は、事実ではなかった。明らかに虚偽の内容によって、元学生の名誉を侵害したのである。


 元学生の訴えを、東京地裁は認め、現学長の不法行為を認定し、原告に対する損害賠償の支払いを命じた。また元教授に対しては、自分が学長として再選されなかったのには、理由があり、この悪魔のような人物が暗躍したのだという趣旨のブログを不特定多数の人々に公開した。


 この裁判も、すでに一審判決が出て、人格権の侵害という現学長の不法行為が認められ、損害賠償請求が命じられた。


5.教団総会で現学長が語ったこと


 2022年9月に開催された日本基督教団総会の議場において、ある議員からの東京神学大学の複数の裁判問題への質問に答えて、東京神学大学大学学長は、以下のように答弁した。


「この裁判について、ここでちょっと事実の誤認があるということを考えますので、一言だけ説明をさせていただきたいという風に思います」


「(第2項の発言の続き)ただ、その中でですね、プライバシーに抵触するのではないかと思われる部分に、クエスチョンがつきまして、で、結局、一つ目の裁判においてはですね、あの、民事裁判というのは刑事裁判と違って白黒決着させるというのは難しいものではありますけれども、結果としてはですね、最初の裁判は、19対1です。裁判費用を支払うという、この数字に象徴的に反映するのですけれども、原告の請求は20分の19は棄却されまして、ただ20分の1だけ、プライバシーの侵害にあたるという点で問題にされたということです。


 ただこれも、控訴審そして上告がなされておりますから、まだ裁判は結審しておりません。


 それから二つ目の問題もですね、同じように、説明責任を果たすその一環でなされた、その中で、人格権を侵害するのではないかと言われる部分がありまして、これもさっきの数字で言いますと、100分の1、問題があると。100分の99は原告の請求は棄却されております。


 従って、100分の1の損害賠償が求められるということになりましたけれども、これも控訴しておりますので、裁判はまだ判決は決着してはいないということになります」。


 教団総会という公の場所で、不法行為による損害賠償を命じられた被告である学長が、原告が損害賠償請求して認められた賠償額の割合を、不法行為がほとんど認められなかったという根拠にするとは、一般社会の常識からは、かけ離れた奇弁という他はないだろう。


 民亊裁判で、不法行為が認定され。損害賠償請求が求められたにもかかわらず、賠償額が満額認められなかった結果を、あたかも自分の勝訴のように宣伝しているというのは何とも情けない現実である。

 

 元学生へのハラスメント裁判では、反省の言葉の一つも発せず、東京高裁でも学長の控訴棄却を受けて、最高裁に上告した。すべてにおいて、学長の任期を全うするまでの時間稼ぎ以外の何ものでもないと言わざるをえない。学長は自らの責任に言及し、学長を辞任するどころか、学長として今もなお人事を継続し、理事会もこの学長を支えている。つまり、カルト化した大学を大学ぐるみで擁護しているとしか見えないのである。 

 

6.カルトと東京神学大学


 時あたかも、カルト集団と政治の問題が取りざたされているが、わたしたちは問題のカルト集団への批判がいくら高まっても、一度洗脳された人間は、尊敬と賛辞と誇りの対象であるものを疑ったり、批判したりはしないという現実を目の当たりにしている。同じことが、東京神学大学でも起こっているのではないか。

 

 考えてみれば、恐ろしいことである。長く、東京神学大学の内部にいた元教授は、自分自身も「マインド・コントロール」を受け続けてきたと語っておられた。さらに、自分自身も学生たちを誤って指導したことも率直に認めねばならないと言う。ハラスメント問題が起こり、はたと立ち止まって、学生の側に立って、発言したために、この元教授は、気が付けば、いつのまにか、学長、同僚の教師、牧師らの中傷と迫害の嵐にさらされ、筆者と関係のある諸教会や牧師たちにもそれらが及ぶようになった。はじめて、自分自身もまたコントロールされていたことに気づいたという。

 

 長く、元教授が関わってきた日本基督教団内の全国連合長老会、改革長老教会協議会の諸教会もまた、この問題で公式に発言することもなく、自分たちの伝道者養成の神学校の起こった出来事の真実を確かめようともしていない。批判を封じ込めることに戦々恐々として、問題の解決への志を持たないのである。


 このことは、2019年冬号の『季刊教会』117号に掲載された元教授である関川泰寛氏の「地域から日本、世界へ―伝道協力の労苦と喜び」の掲載経緯を見てもよくわかる。


 この文章は、2019年9月30日に仙台東一番丁教会を会場に行われた全国改革長老教会協議会牧師会の主題講演であった。


 慣例によって、同協議会が発行している『季刊教会』に掲載されることになったが、初校が出た段階で、議長を務めている牧師より、関川教授に電話があり、この論文の「東京神学大学」という固有名詞を伏せて欲しいというかなり強力な依頼があったそうである。


 これは、教会内における一種の言論封殺であり、改革長老教会協議会の議長である人物が、言論封殺の片棒を担ぐとは、実に情けないと思ったと関川氏は、筆者に述べた。


 固有名詞を削除しなければ、論文を雑誌に掲載しないというような圧迫だったために、関川教授はやむなく、「東京神学大学」という具体的な名称の代わりに、「神学校」と改めた。もちろん、仙台の東一番丁教会での講演には、固有名詞が使われていた。


 しかし、この時の講演もまた、のちに大学によって、関川氏が大学を誹謗中傷している事例として裁判で取り上げられることになった。カルト化した集団の特色は、自由な発言を封じ込め、その上で、封殺した文書をさらに用いて、自分たちの正当性の根拠にする。裁判では、被告の論点は、裁判所によって取り上げられることはなかった。


7.東京神学大学の改革を妨げているもの


 このような現実は、本当に残念なことであるし、情けないことである。個人が自由に発言し、批判していくところに、神学の営みの向上もあるはずである。

 

 この事例に示されているように、課題に対して、自由にものを言えない雰囲気がいつのまにか執行部によって作られ、東京神学大学とは全く別な組織である全国連合長老会と改革長老教会協議会が神学校の問題点を指摘するどころか、完全に沈黙してしまっている。

 

 結果として、東京神学大学の理事会や教授会の運営は、主に福音主義教会連合に属する牧師たちが支配するようになり、ますます教団信仰告白至上主義(これは、福音的な立場とは言えない。神学的というよりも政治的な見解である)が大手を振っている。


 かつて、1890年信仰告白と教団信仰告白の関係を精査して、教団の中にあって、長老教会と改革教会の神学的な伝統を重んじて教会形成を行うという神学的な一致は、根本から崩れ始め、連合長老会と東京神学大学は、牧師の人事を一手に握ることによって、本来の長老会のPolity の原則を忘れ、監督制度のような、上に立つ教職の絶対的な意向と権威によって、制度形成がなされるという驚くべき愚行がまかり通っている。

 

 そもそも全国連合長老会の議長が、10年近くも変わらずにいること自体が長老制度のガバナンスの崩壊のしるしではないか。


 長老教会では、全体教会の議長は、短い期間の任期で交代し、人事の独占を行わないことが鉄則である。現在の全国連合長老会の議長は、Moderator ではなくて、Bishopとなっているのではないか。全国連合長老会は、教団内の途上にある「長老制度を志向する諸教会の群れ」ではなかったか。途上にあると言いながら、現状では、教団にあって、長老教会とはおよそかけ離れた監督的政体の教会となってしまったのではないか。監督のような「議長」の顔色をうかがいながら、人事の斡旋や推薦を求めるがゆえに、不正には目をつむるという体質が醸成されてしまった。その責任は、わたしたちすべてのあるのではないか。

 

 東京神学大学と連合長老会、改革長老教会協議会が、人事の元締めになっているところに、教会の活性化を失わせる元凶がある。人事を行う牧師たちの支配への欲望が、ほとんどないか希薄であるときは、これらの人事の集中は効果を発揮することもあるだろう。教団全体を見ながら、適材適所の人事の運用が可能だからである。


 しかし、もし、限られた指導者たちが、自分に従う恭順な牧師たちを、好ましい場所に紹介し、自分のよく知らない牧師や現体制に批判的な牧師の人事を冷遇するようなことがあれば、それは神の教会を汚す行為と言わねばならない。改革を妨げているものが何であるかは、自ずと明らかであろう。

 

 一部の教職に人事の情報が集中し、「召命」という大義名分で、牧師を上から派遣するように、有無を言わせぬ仕方で遣わすことは、教会のもっとも堕落した姿をさらすことになる。

 

 教会や教職に問題が生じると、問題の本質を見つめることなく、さらには家族の事情、経済事情、その場所での向き不向きなど一切考慮せずに、行われる人事は、健康な集団のなすことだろうか。少なくとも、複数の情報を牧師が与えられて、選択の余地や考慮する時間が保証されるのは当然である。すべてを「召命」という言葉に集約させているのは、結局人事をコントロールし、ますます深く「マインド・コントロール」状態に、牧師を追い込み、自分は、いくつもの情報を手にして、親しい牧師たちにはあてがってあげるという教会の私物化が始まっているのではないか。


8.東京神学大学の財政の問題―誰が責任をとるのか。


 東京神学大学の財政は、明らかに悪化している。第一の原因は、経常収支の悪化である。東京神学大学のHPの情報公開欄の財政資料を見れば、一目瞭然である。


 例えば、2021年資金収支計算書を見ていただきたい。収入は、学生生徒納付金は、4640万余、寄付金収入は2億2千万、補助金収入は、3200万余、受取利息2500万弱、で、3億2千万ほどである。これに対して、支出は、人件費2億2千万、教育研究費5800万、管理経費1億で、明らかに年間数千万円の赤字となっている。


 顕著なのは、かつて9千万ほどあった補助金収入の激減である。学生数の現象、不祥事の頻発などは、減額の理由となりうる。また、学生数の減少は、私学経営の柱である、学生生徒納付金の収入を激減させている。

 

 さらに、各教会に報告が届いたと思われるが、キャンパス整備計画の終了で明らかになったことは、整備費が約4億円増大したために、虎の子の3号基金を崩したことである。これは、情報公開の資料をよく見てみるとわかる事実である。


 2020年度の貸借対照表では、3号基金は3億8千万円減少し、前年度13億あったものが、9億になっている。しかも、9億円のうち、約6億円は、仕組債で運用されており、元本保証のないリスクのきわめて高い金融商品となっている。

 

 すでに、金融庁は、仕組債を個人に販売することを銀行や証券会社に禁じており、法人にも適用される可能性がある。


 東京神学大に対して諸教会がさげた基金は、このようにして、密室で、投機性が極めて高い仕組債購入にあてられ、購入責任を誰がとるかは、不明のままである。


 このように財政上大きな問題を抱えながら、説明責任も果たすことのない集団に、教会員が汗水たらして捧げた献金をなお継続することは、わたしたち自身の無責任を晒すことになるだろう。

 

 東京神学大学のハラスメントと財政問題は、根は共通している。一部の東京神学大学出身者による大学の私物化、カルト化である。特色は、大学が決断や選択をしても、そのプロセスや議論の様子、責任の所在など、一切明らかにしないところにある。結局、決断が間違っていることが判明しても、責任をとる主体が存在しないのである。

 

 そこで、私は、諸教会の兄弟姉妹たちと、声を大にして叫びたい。「いったい、誰が責任をとるのか」と。その上で、東京神学大学の根本的な改革と刷新を求める牧師、信徒たちが目覚めて、ともに戦って欲しいと思う。さらには、改革の可能性が失われているのであれば、新しい神学教育機関の設立を模索すべき時がきていると思う。この最後の新しい神学教育機関の理念と設立の具体的方策については、改めて論じてみたいと思う。


資料

※1 ■仕組み債、販売停止続々 地銀もメガバンクも リスク理解せず購入、多額損失

朝日新聞デジタル 2022年12月3日 5時00分


株価に連動した仕組み債のイメージ

 高い利回りをうたうが、元本割れのリスクもある複雑な金融商品「仕組み債」の販売

をやめる動きが金融機関で広がっている。勧誘を受けてリスクを理解せずに購入した高

齢者が、多額の損失を抱えるケースが続出した。これを金融庁が問題視し、銀行や証券

会社が販売の見直しに追い込まれた格好だ。

 仕組み債は、金融派生商品(デリバティブ)を組み込んだ複雑な債券。株価などの指

標に基づき、償還まで年率10%といった高い利息が得られるとうたう。ただ、指標が

決められた上限を上回れば、早期償還になって満期までの利息が得られなくなる。逆に

指標が下限を下回ると、元本を大きく失うリスクがある。海外の金融機関が発行してい

るケースが多く、「EB債(他社株転換可能債)」などが代表的な商品だ。

 地方銀行などが超低金利の影響で、利ざやが稼げずにもうけが減る中、高収益を見込

んで販売を拡大した。金融庁によると、銀行や証券会社の販売額は2016年度の3・

8兆円から20年度に4・3兆円に。このうち、地銀が7千億円で2倍超に増えた。


 しかし、今年に入り、金融機関の動きに変化が起きている。有力地銀の千葉銀は、傘

下のちばぎん証券での仕組み債の販売を8月に停止した。10月には、山口フィナンシ

ャルグループ(FG)が傘下2社での販売を停止し、横浜銀がグループの浜銀TT証券

での個人向けの販売をとりやめた。

 メガバンクでは、三井住友銀が7月に個人向けの勧誘と販売を停止。同じグループの

SMBC日興証券も、機関投資家向けなどを除いて8月から販売を停止した。みずほF

Gは、傘下のみずほ証券が9月から販売対象を絞った。三菱UFJFGは11月から、

銀行と証券で顧客層に応じて販売する商品を制限しているという。(細見るい、小出大

貴)


 ■金融庁が監督強化

 金融機関の見直しの背景には、監督官庁である金融庁の姿勢の厳格化がある。


 金融庁によると、仕組み債の苦情や相談は19年度が672件で、21年度も341

件と依然多い。購入した高齢者らが数千万円など多額の損失を被る事例が相次ぎ、「老

後資金なので安定したものでお願いしたところ、『安全性が高い』と強く勧められた」

といった苦情もあった。

 金融庁は今年5月、仕組み債に関する調査結果を公表。3カ月で顧客が元本の約8割

を失った商品があった。また、商品に含まれる平均コストが年率8~10%程度と推計

し、実質的な手数料が高い点も指摘した。仕組み債は、販売価格に組成や販売のコスト

が含まれているが、資料には「購入対価のみ、お支払いいただきます」などと書かれ、

顧客は手数料がかからないと受け止めるケースも多い。

 8月末に公表した金融行政方針では、仕組み債を販売する金融機関の監督の強化を明

記。金融機関の経営陣が取り扱いを続けるべきか否かを検討し、続ける場合はどんな顧

客にどう説明をすれば、顧客の「真のニーズ」を踏まえた販売になるのかを考えている

かなどを確認するとした。

 11月に開いた有識者会議では、販売会社が仕組み債などを組成する会社から受け取

る手数料の割合について、顧客への情報提供を義務づけるべきだとの報告書案を示した

 金融庁の動きを受け、金融機関側は実効性のある対策を出せるかどうかが問われそう

だ。全国銀行協会の半沢淳一会長(三菱UFJ銀頭取)は9月の定例会見で「想定顧客

の明確化、分かりやすい情報提供といった観点で、銀行界としての対応の検討が必要と

考えている」と述べた。日本証券業協会は個人向け販売のガイドラインを見直す検討を

進めており、年明けに改訂案をまとめる方針だ。(稲垣千駿、久保田侑暉)




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