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【東京神学大学の課題と改革刷新】

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◆東京神学大学の現状―ヤフーニュースの記事から-


 しばらく前のヤフーニュース(2023年5月31日募集停止ドミノが続く大学・短大・3~残る・潰せる・ゾンビの差とは(石渡嶺司) - エキスパート - Yahoo!ニュース)に目がとまった方々も少なくないだろう。記事は、テレビにもしばしば出演する大学問題の評論家石渡嶺司氏によるもので、「募集停止ドミノが続く大学・短大・3 残る・潰せる・ゾンビの差とは」という刺激的なタイトルが付けられていた。この副題の「残る大学」「潰せる大学」「ゾンビ大学」には、実名が掲げられており、ゾンビ大学の実例として、東京神学大学が挙げられていた。


 石渡氏は、今から10年前の2012年度の入学定員充足率が、7割を割り込んだ大学を調査し、10年後の2022年にどうなったかを検証している。氏によれば、意外にも健闘している大学が多いようにも見えるが、実は、からくりがあって、そのような大学の中には定員を大幅に下げることで、充足率を高く見せているという大学があるというのである。その代表として、東京神学大学の名前も挙げられていた。

 

 東京神学大学の卒業生にとっては、実に心外、腹立たしい記事だが、残念ながら東京神学大学がゾンビ大学のカテゴリーに挙げられているのには、それなりの理由がある。実際問題として、東京神学大学は定員を下げて、生き残る戦術を自ら選択したのである。


 東京神学大学は、この10年間で定員を段階的ではあるが、大幅に下げ、学部では現在60名となっている。この数字は、東京神学大学のHPの情報公開のページで確認できる。10年前の資料では、おそらく学部定員100名近くあったに違いないから、4割も削減したことになる。


 私学助成をもらうためには、100名定員であれば50名の学生確保が必須だが、定員を60名に減らせば、30名ほどを確保すれば生き残れるのだから、大学の教育の質や内容はともあれ、私学助成金を得て、生き延びることは可能である。しかし、このような形で延命措置を図ったとしても、それは表面的な体裁を保っているに過ぎないのであって、早晩その内実は失われていくだろう。


◆財政逼迫の現状

 東京神学大学の財政の逼迫は、すでにHPなどに公表されている財務諸表からも明らかである。2021年度、2022年度と二年続きの赤字の決算となり、おそらく私学振興財団の財務の基準から言えば、黄色信号がともり、「お宅の大学は、すでに財務状況はイエローゾーンですよ」と警告カードが出されていてもおかしくはない。


 当の東京神学大学自身は、財務状況が逼迫していること、大幅な赤字によって、保有する資産が目減りしていることなど、献金者が知るべき情報を明確には発信していない。国から私学助成金を得ている学校法人として、ステークホルダーに対する丁寧な情報公開はもはや常識である。


 私学振興財団が発行している文書「私立学校の経営革新と経営困難への対応―最終報告」(ネットで見ることができる)というパンフレットを御存じだろうか。平成19年8月1日に日本私立学校振興・共済事業団から発行されたものだ。すでにこのパンフレットが出てから15年余が経過しているが、東京神学大学の経営悪化を予言しているようなくだりがある。それは、このパンフレットの6頁に書かれている学校法人が経営破綻に陥る原因である。本パンフレットは、原因として以下の5つを挙げている。


① 過剰な設備投資による金融資産の減少と過大な借入金への依存

② 人件費・諸経費の硬直化による収支の逼迫

③ 不祥事や学内紛争によるマイナスイメージの発生等

④ 教学内容の魅力の低下や改組転換の失敗による学生数の減少

⑤ 人材不足と経営責任の欠如。


 これら5つの要因は、「借入金への依存」を除いて、残念ながらほとんどすべて東京神学大学に当てはまるものであり、東京神学大学の財政逼迫には、明らかにここに掲げられた原因があると思われる。逆に言えば、これら5つの原因を真摯に受け止めて、一つずつ潰して行けば、再建の道は開かれる可能性があるということだ。


・過剰な設備投資と金融資産の減少-キャンパス整備の妥当性の総括と検証-

 まず東京神学大学は、2018年前後にキャンパス整備と銘打って、学生寮の建て替えと教員住宅の新築を行った。総工費11億円と一般大学から見れば、小さな額だが、年間予算4億円余の日本の最小大学の基準から言えば、年間予算3年分ということになり、「一大プロジェクト」に違いない。ところが、ふたを開けると、総工費が何と4億円超過して、15億円に達してしまった。足りない4億円をどうするか。結局東京神学大学は、虎の子の3号基本金を取り潰して、資金を捻出した。


 ところが、ここに問題と落とし穴があった。3号基本金とは、企業でいえば、資本金にあたるもので、それを資金不足だからといって、簡単に取り崩し、使ってしまってはいけないのである。実際私学の会計基準では、3号基本金は取り崩してはならないことになっており、取り崩す場合には、基金を捧げた諸教会と個人の了解が必要と定められている。


 そこで、東京神学大学は、各教会に文書を送り、奨学金として献金された3号基本金の取り崩しの了解を取り付けて、キャンパス整備の費用に振り向けたのである。かくして、学生の奨学金や研究のために捧げられた尊い基金13億円の内、4億円がいわゆる「箱物」建設の超過費用の支払いに消えたのである。


 学生寮の「新築」は、いったい本当に必要だったのだろうか。確かに学生の居住環境の改善は、必要なことである。しかし旧学生寮は古いけれど、耐震診断も行って、将来のために冷暖房設備の改善も終了していた。学生の大幅な減少の時期に、なぜ学生寮を新築して、多額の資金を投入したのだろうか。リフォーム等で対応することも可能だったはずである。実際、新築された学生寮は、定員の半分程度の学生しか居住しておらず、閑古鳥が鳴いている始末である。


 さらに教員住宅の建て替えについても、その方法が妥当であったのか、疑問が残る。そもそも、某有名建築事務所に設計を依頼する必要があったのか。そのデザイン料だけでも、大幅なコスト増である。土地はあるのだから、もっと安価で機能的な住宅の建築が可能だったのではないか。この辺りの総括が教授会や理事会できちんとなされていないのであれば、それは大きな問題である。これら一連のキャンパス整備の総括を献金者に対して、率直に公表すべきではないか。


 このような過剰な設備投資と金融資産の減少は、今東京神学大学で起こっている現実なのである。結果的に、キャンパス整備による資金不足によって、2019年には13億円あった第3号基本金が8億円にまで減少してしまった。さらに8億円の内6億円が仕組債というリスクの高い債券によって、運用されているとなれば、大学の資本金とも言える第3号基本金は、現金としては約2億円程度しか残っていないということになる。今後さらに財政が悪化した場合、取り崩すことのできる現金はごくわずかである。


・人件費・諸経費の硬直化による収支の逼迫

 次に、②の原因もまた、東京神学大学に当てはまる。財政が危機的状況にもかかわらず、人件費の削減など、大学の支出を抑える努力がなされている形跡はない。あるいは密かに理事会で検討が進んでいるのかもしれない。しかし、組合もない東京神学大学では、ある日突然、教職員の賃金カットが通達されるのだろうか。


・不祥事や学内紛争によるマイナスイメージの発生等

 加えて、東京神学大学は、これまで4件の裁判を学生と教師から起こされ、そのうち2件では、現役の学長が学生と教師のプライバシー権及び人格権の侵害を認定されて、損害賠償請求が命じられた。


 原因③にあたる不祥事や紛争が、東京神学大学の全体を覆っている。大学当局は、これをひたすら隠し、あたかも無かったかのように処理している。学生と教師の人権は踏みにじられ続けている。特に学生の裁判では、学長は最高裁まで争い、判決が確定した後も、真摯な反省や再発防止に取り組む姿勢すら見せていない。組織として、学内で起こった問題を真摯に受け止め、そのための改善や改革を行なっていくことは当然の責務である。この姿勢が見えてこない大学において、牧師養成ができるのだろうか。


・人材不足と経営責任の欠如-理事会メンバーの当事者意識の醸成-

 東京神学大学は、植村正久の伝統、カール・バルト神学の伝統を継承する神学校を自負してきたはずである。しかし、近年の東京神学大学はその精神を生きているとは言いがたい。


 人件費削減の意味もあってか、教員には、教団以外の教師を特任教師として複数採用し、給与水準を低く抑えている。彼らは、東京神学大学教員でありながら、教授会には加わらない。


 このことは何を意味するのか。つまり大学の意志決定はほんの一握りに教師によってなされているのである。学長と学長を取り巻く一部の教師たちによって意志決定がなされている。これは、組織としてはとても不健全である。多様な意見が取り入れられず、異論を唱える者たちを排除する方向に向かって行くからである。実際優れた教師たちが、定年前に退職に追いやられ、客観的に見て学問的な業績も、学会活動も、教会の経験も少ない教師によって、牧師養成が行われている。


 教授の肩書に見合う研究業績とは何かを、他大学のスタンダードから評価することも、大学の学問的水準保持のためには不可欠なのである。人材不足の深刻化は東京神学大学が将来を見据えて後進を育成してこなかったことの証左でもある。常に先を見据えた大学運営と、学問的水準の保持は当然大学に求められる。それらのことを怠ってきたことが、人材不足という現在の結果を引き起こしているのではないだろうか。


 さらに、学校法人の経営者たる理事会が経営責任者としての当事者意識が希薄であることも問題である。これまではいわゆる「名誉職」としての理事会で事がうまく運んでいたのかもしれない。


 しかし、学校法人改革が進み、評議員会の機能も強化され、大学そのものが淘汰されていく流れの中で、今までの理事会体制で良いはずはない。東京神学大学の経営責任はどこにあるのか。このことを明確にせずして、この先大学としての機能を維持していくことは困難であろう。理事長を筆頭に、理事、評議員一人一人が大学の経営責任の一端を担う者として当事者意識を持つことが必須である。


◆緊急の課題

 問題は、このような困難な状況下で、どのように、また誰が再建計画を決定し、実行に移し、大学としての意思決定をなしうるかである。大学を再建する道は予想以上に険しく、さらには閉校することもまた多額の資金と時間を要するのである。つまり、進むも地獄、退くのも地獄なのである。


 すでに報じられているように、恵泉女学園大学は、大学の閉校を決定した。東京神学大学よりも、はるかに財政の余力を残しながらの閉校の決定である。大学は、閉校するにしても、あるいは各種学校に組織替えをするにしても、多額の費用と準備期間がかかるのが常である。先ごろ文科省は、経営状況の悪化する大学・短大に対して、閉校のための支援を提言している。閉校までのプロセス、経済的な支援などである。


 東京神学大学は、はたしてどのような決断をするのか。いわゆるステークホルダーである善意の諸教会、教会員に対して、財務の現状をどのように説明し、そのうえで献金を募っていくのだろうか。大学の現状、財政の改善計画などを示さぬまま、献金を無制約に募り、その大部分が、人件費に消えていくような大学運営だけは避けてほしいものである。

 

 仄聞するところでは、各地の後援会でも、最近は東京神学大学の財務状況の説明を止めているそうである。この事実も、財務状況を知られたくない、さらに知らせたくないという意図が透けて見えるのではなかろうか。 


 もし、東京神学大学が、閉校への道を取らざるを得ないのであれば、これまで祈りと献金で支援し続けてきた全国の諸教会に対して、恵泉女学園のように、早くから説明責任を果たし、情報公開を実施すべきである。


 特に、3号基本金という企業でいえば資本金にあたる基金が、6億円規模の仕組債購入によって、大幅に毀損している疑いがすでに内外で出されている以上、仕組債購入の理由とプロセスを自ら検証し、責任の所在を内外に明らかにすべきと考えるが、どうであろうか。


◆責任の明確化と改革に向かって

 この世界に存在する団体は、その行為の責任を負うことは、人権の尊重などと共に普遍的な価値となっている。しかし、現在の東京神学大学は残念ながら、それらのものが普遍的価値となっていないと言わざるを得ない。この姿勢は、2017年から18年に行われた3号基本金の仕組債による運用、多額の売却損の露見、学内に起こった4件のハラスメント裁判などのすべてにあてはまる。東京神学大学は、これらの問題について、説明責任を果たすどころか、8回に及ぶ公開質問状にも十分に答えず、裁判結果がマスコミに報じられても、謝罪や説明を行うことなく、あたかも何事も起こっていないかのような姿勢を理事会も教授会も貫いている。


 牧師養成という特殊な教育機関ゆえに、マスコミに報道されても、直接の非難が起こらないとでも考えているのかもしれない。あるいは沈黙していれば、いずれ騒ぎは収まるだろうと踏んでいるのだろうか。


 いずれにしても、私学助成金という税金を原資とする多額の補助金をもらい、神学という公共性のある学問研究をも行う集団が、そのような姿勢に終始している姿は、麗しいものではない。日本におけるプロテスタント教会の急激な凋落の姿と重なり、教員の学問水準の低落とともに、倫理の低下を押しとどめるすべをもたないのである。良識ある理事や評議員、卒業生の牧師、献金を捧げている諸教会の信徒が、これらの問題に意見することで、財政と倫理の改善の提言を行うことが今ほど期待されている時はないように思う。


◆東京神学大学を支えるということ

 東京神学大学を支えるということは、東京神学大学に対する異論を封じ、無批判に徹するということではない。東京神学大学が、批判に耳を傾けず、このまま突き進めば、本当に無くなってしまうかもしれない。客観的なデータや情報に基づいて、私たちはそのように危惧している。そうならないためにも、私たちが問題点を指摘し、大学内部の改革を促していくことが、必要ではないか。


 巷の卒業生たちの意見では、大学にモノ申すのは、ほとんどすべての人事権を学長とわずかの理事が握っている現状では、結局自分たちの将来を暗くすることにつながると考えて、刷新や改革には消極的となる。


 この現状は決して健全であるとは言えない。また、理事会や評議員会のメンバーも多様な意見を取り入れるために、幅広く人選すべきである。人事の硬直化は組織の硬直化である。


 本来、このような提言が理事会や評議員会内部からなされるべきであるが、理事会、評議員会メンバーを見る限り、残念ながら内部からそのような改革が起こりそうな気配はない。


 「これってどこか異常じゃない」「どこかおかしいのでは」。そういう素朴な疑問すら圧殺して、牧師養成を行い続ける神学校を、目をつぶって擁護し続けることは、プロテスタント的アイデンティティに照らして、いったい正しいと言えるのだろうか。 


 プロテスタント教会は、信仰において戦う教会である。確かにこの世の教会は汚れに満ち、良い麦も悪い麦も混在する途上の教会にすぎない。しかし、だからと言って、悪や不法を見逃すこともしないのである。


「キリスト者なら人を裁いてはならない。赦すべきだ」という声が聞こえる。確かに、最終的な裁きは神に委ねるべきである。しかし裁くことと、問題点を指摘し、改革を促すことは大きく異なる。常に「御言葉によって改革され続ける」ことが、教会の指標であるなら、目の前に繰り広げられる教会と神学校の深刻な問題との戦いを避けることはできないのではないか。信仰の戦いは、まず相手の現状を正確に知るところから始まる。

 

 今、東京神学大学で何が起こっているのか。この文章を読んだ方は、事柄の真偽を確かめるべく、立ち上がって欲しいのである。付け焼き刃で見せかけの対処ではなく、根本的な改革が今、求められている。

 


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