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東京神学大学 アカデミック・ハラスメント裁判東京地裁立川支部での審理の経過

更新日:2022年4月12日

 東京神学大学 卒業生有志


*文中のイニシャルは便宜上のものです


 東京神学大学の元学生のW氏が同大学の2名の教授に対して起こしたアカデミック・ハラスメント裁判について、以下、簡単に東京地裁立川支部での審理の経過をポイントだけに絞って整理します。


 東京地裁立川支部での審理において裁判官は、平成29年8月27日にA教会で行われた面談でのA教授の言動が、W氏への不法行為に該当するかに焦点を絞りました。A教授側の主張は、W氏にこの面談で「大学院へ内部進学出来ない」と伝達したことは、既に3月14日の特別教授会で決定されたことであり、入学時のいわゆる「学部どまり」という評価に変更はないことが特別教授会で確定していたのであり、自分の言動(A教授の指導)はあくまで「教授会の方針」に従ったことというものでした。

 この点に関し証人尋問において裁判官は、A教授に対して以下の点を尋問しました。すなわち、クラス担任であるE教授、F教授はW氏の大学院進学の可能性を前提に成績を上げるよう指導するなど、教授の間でW氏の大学院進学の可能性について不一致があるのだから(A教授もその認識があったことは認めている)、クラス担任の両教授を含めて9月の教授会で正式な確認を得てから、大学院へ行けない旨をW氏に告げるべきであったのではないかという疑問を、裁判官がA教授へ投げかけたのでした。「大学院への進学の可否という重要な事項について、教授会ではっきりその可否を確認しないうちに、大学外のA教会で、クラス担任でもないあなたが大学院へ行けない旨を告げるのは行き過ぎではないか?」という問いかけに、A教授は返答に窮しておられました。証人尋問に証人として出頭して証言したA教会主任牧師とA教授は、この問いかけに対して言葉につまりながらも、両者口をそろえて「教会と東神大は車の両輪であり、A教会の協力牧師であるA教授が、W氏が神学生として出席しているA教会で同席して面談することは自然である」と弁明しました。また、A教授は「9月の教授会を待つべきであったかもしれないが、大学院進学の可能性を前提とするクラス担任の両教授の指導が誤りであることは明らかである」と思っていたし、A教会主任牧師から「W氏の次の進路など将来のためにも、またA教会として、来年度にW氏が大学院へ行けない事実を早めに理解してもらう必要があるので、是非A先生が同席してW氏に事実を告げて欲しい」と強く要請されて、やむを得ず面談したのだと説明しました(ちなみに、A教会が8月の末の時点でW氏の大学院進学の可否を知る必要があるという弁明は、東神大および神学生と出席教会の関係の実情を知る我々卒業生にとっては不可解です)。


 B教授(当時の学長)については、東京地裁での証人尋問でも10月5日の学長室における面談でのW氏への言動が不法行為に該当するかに焦点が絞られていました。この点、B教授が死去して不在ということもあり、その面談に同席していたA教会主任牧師が「B教授の言動には、行き過ぎという面もあったかもしれないが、何とか事実をWさんに認識してもらおうという面があったと思う」という苦しい弁明に終始しておりました。


 以上の審理を経て、地裁の裁判官は両者に和解を勧め、W氏に対しては「C学長への別の裁判をあなたが取り下げれば、被告側は相当額の和解金を支払う用意がある」という趣旨の話を出したとのことです。しかし、C学長への裁判を取り下げるという条件は、とうていW氏の受け入れられるものではなく、裁判官の和解の提案を拒否し、地裁立川支部の判決が下されるに至りました。結果はW氏の請求棄却で、A教授とB教授の不法行為責任を否定したものでした。その理由付けは「A教授、B教授の発言は、3月の特別教授会の方針に沿ったものである。特別教授会では、学部どまりという入学時の判断が維持されたのであり、W氏は入学時にその条件を当時のC学長から聞いていた。A教会でのA教授の指導は、クラス担任の指導との矛盾はなく、むしろそれに沿ったものであり、特別に激高したり威嚇することもなく、違法な指導とは言えない。B教授の言動も、W氏を特別圧迫するものではなく、W氏の意思の自由を奪うほどのものではないので、違法な指導とは言えない」というものでした。


 以上が、裁判の経過、及び、裁判所が示した判断のポイントです。まずこれを正確に理解した上で、私たちとしては事実を見極め、この件の真実(真相)に思いを致す必要があります。

 裁判所の民事裁判における判決とは、あくまで当事者が証拠によって主張し得た事実を基に、それに対して法律を適用して下すものです。今回の裁判が、大学を被告としたものではなく、A教授とB教授の両名を被告としたものであり、裁判官が審理の対象を証拠(録音など)により争い無く確認できる上記面談での会話に絞り込んでしまった関係で、いわゆるハラスメントの有無という真実を解明する上で不本意な結果となったのは残念です。

 しかも、和解で理解に苦しむ条件がつけられ、それを拒否したところ、証人尋問で裁判官が問うていたことは全く顧みられない判決が出たことにも納得が行かないところです。和解の提案で裁判官が示した和解金の額は民事裁判において相当な程度の額であり、裁判官の事実認定と判決の組み立てという匙加減次第では、両教授に不法行為責任を認める法律構成が十分可能である事案であったことは否定できません。私たちは判決の結果のみでなく、もう一度裁判経過を冷静に読み返すことによって、背後にある真実(東神大とその一部の教授の不適切な教育指導のあり方)をそこからも垣間見ることが出来るのではないでしょうか。


 「学部どまり」の運用によってご本人としては理由が分からないまま入学直後から他の学生とは違う差別扱いを受けたこと。学内のハラスメント委員会が出した報告(A教授の不適切な指導を認めるもの)が恣意的に破棄されたこと。努力して成績も改善し、出席教会からも大学院へ進ませるように願う推薦書を受け、教授会を構成する4名もの教授が大学院進学が相応しいと判断したのに、他の教授たちが頑なに大学院進学の可能性を阻んだこと。これらのことは、東神大とその一部教員の問題であるにもかかわらず、今回の裁判では裁判官の取り上げることとはなりませんでした。それは逆に言えば、大学側の組織的なハラスメントという性格が強く、教授会の決定に沿って動いていたという両教授の弁明を裁判所が受け容れてしまったということです。クラス担任だった二人の教授の指導に照らせば、実は教授会としてきちんとした決定はなかったのではないでしょうか。ところが、裁判所は大学の自治、とりわけ牧師養成機関という宗教的な面が絡む特殊性に配慮して判断を控えようとするあまり「召命を明確に言い表すことが入学時に出来ず、もともと牧師になる適性がなかった」という教授会多数派の主張を鵜呑みにしたように見えます。しかし、文部科学省から大学として扱われ、助成金も受けている公的教育機関として、今回の一連の大学および一部教員の行動が適切であったかどうか。我々は神の前で、自分自身の良心に問うてみる必要があるのではないでしょうか。裁判の結果を正確に受け止めた上で、事柄の真実・真相に迫ることは我々卒業生にしか出来ないことであり、また課せられた責任であると考えます。何故なら東神大における「神学校と教会と神学生三者の関係性」の実情を皮膚感覚で知り、その素晴らしさと共に、そこには誰でもハラスメントの被害者になり得るような「危うさ」が潜んでいることを知っているのは、我々卒業生だからです。


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