【徹底検証】東京神学大学「仕組債購入と9,000万円損失」説明の問題点
- toshindaimondai
- 7月12日
- 読了時間: 5分
更新日:7月24日
― 表面的な整合性と実質的な責任回避 ―
東京神学大学は、2017年に発生した9,000万円の債券売却損について、2021年以降いくつかの文書で説明を公表してきました。
その中では「損失は発生したが、利息収入が増えたため結果として良い判断だった」とされ、資産運用の正当性が強調されています。
しかしこの説明には、会計・財務・倫理の観点から見て重大な問題点が多く含まれており、表面的なロジックに反して、実質的には責任逃れと信頼軽視が浮き彫りとなる内容です。
本記事では、この大学の説明に含まれる主張を6つの観点から検証し、必要な改善を提言します。
❶「損失はない」とする誤解を招く会計認識
◆大学の主張:
「6億円で買った債券を5.1億円で売ったが、利息が増えた」
「満期まで保有すれば額面通り戻るので問題ない」
◆問題点:
6億円の債券を5.1億円で売却した時点で、9,000万円の損失は確定している。
満期時に別の債券で額面償還されたとしても、それはすでに失われた資産を回復するものではなく、新たなリスクを伴う投資結果でしかない。
「今は損だが、将来返ってくる」とする説明は、損失の先送りであり、投資失敗の正当化にはならない。
これは会計的にも倫理的にも不正確な説明であり、教育機関としての誠実な報告とは言えません。
❷「安全志向」と言いつつ、実際は高リスク運用
◆大学の主張:
「信用格付A以上」「公共債を中心とした安全な運用を心がけている」
◆問題点:
実際に購入したのは、ドイツ銀行ロンドン支店発行の為替連動型仕組債。
これは、為替変動により元本毀損や利率変動のリスクを伴う複雑金融商品であり、安全性重視の投資方針と明確に矛盾する。
格付が高いからといって、仕組債の中身が安全という保証にはならない。
安全性を重視する学校法人が、複雑で理解困難なデリバティブ商品に全額再投資したという事実は、説明と実態が大きく乖離しています。
❸「利息が増えたから結果的に良い」という因果のすり替え
大学の説明は一貫して、「利息収入が増えたことが9,000万円の損失を相殺した」という論調です。しかしこれは、
リスクを取って得た高金利であること、
安全運用が前提の公共資産であること、
を無視した説明です。
公共性の高い資金を使って、「たまたま利息が多く得られたから損ではない」という主張は、極めて軽率かつ短絡的です。
❹ ガバナンス不全:誰が判断し、どう監督したのかが不明
大学の説明では、「証券会社の提案に基づき、基金部会で判断した」とされていますが、
運用判断を誰が下したのか
損失リスクについてどのような議論があったのか
理事会のチェック体制はあったのか
については全く記載されていません。
数億円規模の資産運用が、一証券会社の営業提案で進み、明確な責任者も記録も公表されていないのは、明らかな統治責任の欠如です。
❺ 財務戦略の不在と資産配分の欠如
本来、大学の資産運用は:
元本保全
長期的・安定的な利息収入の確保
資金流動性の維持
が基本原則です。にもかかわらず、説明を見る限り、
6億円を仕組債2本に集中投資
分散も段階的投資も行われていない
という無防備な戦略が取られており、基本的なリスク管理が行われていないことが明白です。これは資産運用というよりも、一か八かの投機的投資に近い構図です。
❻ 説明責任・信頼回復に対する姿勢の欠如
大学は終始、「祈り」「最善を尽くした」という信仰的な表現で説明を包み込みますが、
誰に対して、
どのような謝罪や報告を行い、
今後どう改善するのか
といった具体的な責任と説明は一切示されていません。信徒・教会・卒業生が信頼と献金で支えてきた資産が損失を被った以上、説明会や第三者調査など、誠実な対話と再発防止策が必要不可欠です。
総括:整えられた形式の背後にある、説明責任の欠如
東京神学大学の「資産運用に関する説明」は、表面的には数字と文言が整えられていますが、実質的には:
損失の事実を軽視し、結果で正当化しようとする姿勢
安全運用の原則を逸脱した高リスク商品への集中投資
意思決定プロセスと責任の不透明性
献金者と教会への誠実な説明の欠如
といった重大な問題を内包しています。
提言:信頼回復に向けた5つの措置
第三者委員会(会計・財務・倫理専門家)による運用経緯の調査と報告書の公表
損失の正式な認定と関係者への謝罪および説明会の開催
資産運用規程の見直しと、分散・保全・リスク開示の原則の再構築
基金部会および理事会の議事録・責任体制の透明化
資産運用をめぐる意思決定体制の再設計と定期報告の制度化
最後に
神学教育機関は、信仰と知性、そして誠実な倫理に基づいて社会に仕える存在であるべきです。
財務の不透明さは、単なる会計の問題ではなく、組織としての信仰的責任と公共的使命そのものが問われる領域です。
私たち「東京神学大学の問題を考える会」は、今後も透明性と説明責任に基づく大学運営がなされるよう、祈りと行動をもって関わっていきます。
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